人生の中で、無条件の愛を得られること、得られる人は幸せだ。無条件に人を愛せることは簡単なことじゃない。子供のためならと思ってる親はほとんどでしょうけど、本当に自分の期待なく、子供をそのまま受け入れて愛している親は何人いるでしょう。私自身、人を無条件に愛することは最大の課題である。
今までも無条件の愛というものに失望させられたことが何度かある。自分の一番信頼している大切な人達が自分を愛していると疑いなく信じていたのにいざとなった時は自分達の方が可愛かったということをしっかりとみせられて、無条件の愛なんてないって現実を見せられた気分だった。そう言ってる私も無条件に人を愛したことがあるのだろうかと思ってみると、やっぱり自分の方が可愛くて、自分のエゴ優先していた。
今日の復活祭の特別集会で、牧師さんはこう言った。愛することの反対は自己中心である。 本当にそうだと思う。人を本当に愛せるのは自己というものが無くなった時である。 自己を優先しているうちは人を愛するとは言えないのでは。 例えば、子供が言うことを聞かないから勘当する、家から追い出すなど、親は子供を自分の正しいと思う方向へと進ませようとする。でも、期待に外れた子供を同じように愛せないのはやっぱり、自己を優先しているからだ。本当の無条件の愛は相手がどんなであれ、見返りなしに愛することではないのだろうか。
キリストはこれを完璧にこなした。彼は誰から何をも望まなかった。ただ、自分の命を犠牲にすることでこの世の人々を救うという任務のために生まれて来た。この世の全ての罪を一人で背負って、十字架にかけられた。無条件に愛するというのがどんなことか見せてくれた。
キリストが処刑され、そして復活することを記念する復活祭がやってきた今週末、そうして愛してくれるキリストに感謝しながら、無条件に人を愛せるための色んな試練に前向きに向かい合おうと思う。
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