What are the hidden treasures we will discover in our children? God gave us hidden treasures through our children as we guide them to find who God made them to be. Parenting is a journey of finding those hidden treasures.

4/17/2009

今朝、私がまだ眠いのに駿と聖はもう、元気満々で私のベッドに入ってきて2人で話始めた。「遊ぶんなら自分たちの部屋に行きなさい」を数回繰り返したら、やっと一人にしてくれた。それからしばらくして私もようやく起きられる体力が出て来て(起きるのに体力いるなんて、歳だなぁ〜)起きてみたら、ぬいぐるみが思ってた通り、あっちこっちに散らかっていた。ここ何日か2人ともぬいぐるみと、キャンプをしたりして遊んでいたので、まだ飽きてないんだなぁなんて思いながら一階におりて朝食の支度をした。

今、朝食が終わり、ホームスクールを始めようと上に来たら、ぬいぐるみが本棚の上やテーブルの上などに散らかってるのにまた気づいて、聖に「片付けなさい」って言ったら、「でも、ぬいぐるみ達はまだ写真を見てるよ。」って言われて、よーく見てみると、どのぬいぐるみも飾ってある写真に向いているのに気づいた。「そうだったの。』と私は思わず笑ってしまった。 それが分かった上でまた見てみると可愛くて思わずカメラのシャッターを押していた。 毎回、こんな風に子供の想像力の豊かさを見せられると、私は自分の想像力がどれだけかけているか思い知らされる。大人になると、現実にしか目がいかなくなって想像力を働かせるゆとりもなくなるんだな〜って反省。歳をとっても、ベッドから起きられる体力がどんどん減っていっても、想像力はなくさないように頑張らないと! 子供に教わることは限りなくある。

4/15/2009

子供の心を導く。

ここ2、3日、どうして自分は優しくなれないのだろうって思う。今分かったことではないけど、つくづく、嫌になる。 最近、駿と聖のお絵描きの中に私はよく登場する。怒った顔で、、、中には怒った私の顔の横に「危険」って表示までされてるのもある。あの子達の中では私はこんなイメージなんだなぁって思うと、情けないやら、悲しいやら。どっちにしろ、失敗感で一杯の私である。

そんなんで、数年前に読んだ「Shepherding a Child's Heart」という育児の本をまた手に取って読み始めた。最初の数ページから私はがっくり来た。育児とは子供のために全力を尽くすこと。 自分の都合で子育てをしたら、子供はすぐに分かってしまう。成長した子供が家をすぐにでも出たいって思わないような居心地の良い家庭は子供の心に必要なものをちゃんと満たしている家庭である。こんなコメントを読んで私は改めてこのままいくと駿も聖も18才になった途端、家を飛び出すだろうなって思った。

育児とは子供の行いや態度を正すだけではなく、子供の心に触れることだ。いろいろと育児の本を読んできて、一番大事なことを何度も耳にはしたものの、本当に心に入ってきたのは今回が初めて。 今まで私は行いや態度を正すことばっかりに目がいってて、一番大事な心を忘れていた。子供との心のつながりもなく、言うことを聞けっていうのは自分勝手なことである。

私は今日も神様にすがりながら、私のことを変えてくれるのを祈りつつ、そのうち、息子達のお絵描きの中に笑顔の優しいお母さんとして登場できることを目指す。

4/10/2009

無条件の愛

人生の中で、無条件の愛を得られること、得られる人は幸せだ。無条件に人を愛せることは簡単なことじゃない。子供のためならと思ってる親はほとんどでしょうけど、本当に自分の期待なく、子供をそのまま受け入れて愛している親は何人いるでしょう。私自身、人を無条件に愛することは最大の課題である。 

今までも無条件の愛というものに失望させられたことが何度かある。自分の一番信頼している大切な人達が自分を愛していると疑いなく信じていたのにいざとなった時は自分達の方が可愛かったということをしっかりとみせられて、無条件の愛なんてないって現実を見せられた気分だった。そう言ってる私も無条件に人を愛したことがあるのだろうかと思ってみると、やっぱり自分の方が可愛くて、自分のエゴ優先していた。

今日の復活祭の特別集会で、牧師さんはこう言った。愛することの反対は自己中心である。 本当にそうだと思う。人を本当に愛せるのは自己というものが無くなった時である。 自己を優先しているうちは人を愛するとは言えないのでは。 例えば、子供が言うことを聞かないから勘当する、家から追い出すなど、親は子供を自分の正しいと思う方向へと進ませようとする。でも、期待に外れた子供を同じように愛せないのはやっぱり、自己を優先しているからだ。本当の無条件の愛は相手がどんなであれ、見返りなしに愛することではないのだろうか。

キリストはこれを完璧にこなした。彼は誰から何をも望まなかった。ただ、自分の命を犠牲にすることでこの世の人々を救うという任務のために生まれて来た。この世の全ての罪を一人で背負って、十字架にかけられた。無条件に愛するというのがどんなことか見せてくれた。 

キリストが処刑され、そして復活することを記念する復活祭がやってきた今週末、そうして愛してくれるキリストに感謝しながら、無条件に人を愛せるための色んな試練に前向きに向かい合おうと思う。