風邪のせいにしたくはないけど、体の体調が悪いと、忍耐力も薄れてくる。先週、やっと体調が戻ってきたと思ってたら、常にイライラしている自分に気づいた。そのイライラがつもり、ついには大声で怒鳴っている自分がいた。そんな自分に嫌けがさし、火曜日の夜懺悔の涙を流した。夫が明日はまた新しい一日と慰めてくれて、ふたりでもっと子供に優しくしようと心に決めた。
駿の状態は前の記述でもちょっと述べたけど、多動性障害、もしくはアスペルガーズ症という、軽症の自閉症の傾向があり、2歳以降、特別な子だというのがだんだん明らかに見えてきた。(多動性障害、アスペルガーズ症についてはまたのブログで話そう。)最初、ほかの子達と違うな〜なんて思いながらも、あまり真剣に考えてもいなく、ただ言うことを聞かない子だということで頭を悩ましていた。それと生活上のほかのストレスで、私は児童発達の専攻をしたにも関わらず、子育てに悪戦苦闘していた。大学で習ったことも本で読んだことも頭では分かってはいたものの、実際は怒鳴り声の耐えない日々が続いていた。自分でも、こんなにも怒りが心の中にあることに気付いた時は怖くなった。5歳にも満たない自分の子にたいして、憎しみをもったような接し方しかできなかった。毎日反省するものの、毎日同じことを繰り返し、私は精神病院行きになるのではと本当に怖くなった日のことを今でも、生々しく覚えている。
毎日、失敗から少しづつ学んではいたものの、これではだめだって本当に心から思えて、私が変わるきっかけになったのは駿が常に怒りをもってることに気づいたからだ。三歳か四歳のころ、つもりにつもった怒りがあの小さい心から溢れ出していた。このままでは駿がだめになる。そのことに気づいて、初めて私は変わり始めることが出来た。
聖はまだ赤ちゃんだったから、駿が4歳の時、駿がすごく大きく見えて、もう私がついてなくても自立して、ほかの子達と遊べる歳だ。なんて大喜びして、友達と集まった時は駿をほかの子達と一人で遊ばせることが多くなった。でも、私は駿がまだ私の助けを常に必要としていることにはまだ気づいてなかった。 子供のけんかに親が出てもってずっと思ってて、駿が何かをいってきても私は ”じゃ、ほかの子達と遊びなさい” ってしかアドバイスしてなかった。数ヶ月後、ほったらかしにしていた子供達の関係がエスカレートしていて、ほかの子達にいじめられている我が子を目にした時は心が痛くてどうすればいいか分からなかった。この頃にはすでに駿はほかの子達とは何かが違うって確信してたので、この子はこのまま、こんな人生を送るのか と思った時は悲しくて涙が止まらなかった。でも、何よりも悔しくて情けなかったのはそれで動揺して、きちんと対処出来なかったことだ。駿のことを守れてあげれなかったこともほったらかしにしたことも、いじめを目撃して、何も出来なかったことも全て、自分は学校の勉強だけで、人として何を学んできたのか、、、その後、いじめた子達の親もその子達と話をして、2、3年かかったけど、今はその子達も大きくなり、ちゃんと駿の特別な所を受け入れてくれて、仲良くしてくれるようになった。私達、親の祈りがかなって、本当に神様に感謝で一杯。
私の子育て奮闘記はこんな感じで始まり、親になって6年半、まだまだ学ぶことは限りなくあり、毎日が学習の日々だけど、二歩進んで、一歩下がるペースであっても、前にちゃんと進みたい。
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