昨日、夫が Youtube でClay Dyer というバス釣りのプロのクリップを見せてくれた。最初、私はあまり見る気もなく、横からちらちらとしか見ていなかった。Clay がインタビューされている画面で、釣りに全然興味のない私はちょっとつまらないって思ってた。私の目を捉えたのはその後の画面で、なんと、腕も足もなく、頭と胴体だけで移動している人だった。Clay は生まれた時から腕と足がなかった。お母さんは生まれてきた赤ちゃんのClay を見て気絶しそうになったという。そんなClay は義足や義手(というんだっけ?)をつけてあげると提供されたのにも関わらず、生まれたままの自分を受け入れて、大切にしていた。だから、釣りも口を使って誰の助けもなく、自分でしている。そして、なんと、腕も足もなしで水泳までできる。そのほかにロッククライミングやバスケなどたくさんのスポーツも小さいころからこなして来た。Clay は特別扱いされたくないし、自分も自分を特別だと思ったことがないので、他の人のように普通に普通のことをしたいと言っていた。
(駿も横で見ていたので、ここはチャンスとばかりに、私は“見てごらん、彼は腕も足もないけど、釣りや水泳までもできるんだよ。これからはもう、'できない'って言うのやめようね。”とかいろいろ説教した。駿はちょっとでも困難になると、すぐあきらめてしまうので、こんな人がいるのをしっかり覚えてほしい。)
ちょっと話が反れたけど、私はそのクリップを見て、もし、妊娠中に自分の赤ちゃんがClay のような体だと分かったのなら、きっと多くの人は中絶してただろなって思った。 障害の持つ子供を持ったら大変な思いをするという理由もあるだろうし、生まれてこないほうが子供のためってもっともな理由のように聞こえる理由もあるだろう。 でも、Clay を見ても分かるように、彼が生きていることによって、家族や身の周りの人だけではなく私のように見知らぬ人にまでも勇気が与えられた。 そしてClay 自身生き生きと輝いて生きている。障害があるからこの世に生まれてこない方がいい人なんていない。 そう、私は固く信じている。
同じように、Rick Hoyt は生まれた時にへその緒が首に巻きついて、首から下植物人間になった。でも、彼のお父さんはそんな大人になった息子と一緒にトライアスロンをしている。ボートに乗せて、引っ張りながら泳ぎ、ストローラーで押しながらマラソンをし、後ろに乗せて自転車に乗る。是非、ビデオクリップのリンクで感動的なクリップを見てみて。(左の欄にあります。)
似たような話だけど、前にある小冊子でこんなストーリーを読んだ。あるお医者さんがある出産に立ちあったときの話。その出産は赤ちゃんが逆子のために難産で、足が出てきたとき、そのお医者さんは “はっ”としたそうだ。 明らかに片足が短く、その赤ちゃんは障害を持って生きることになる。彼の心の中で、ほんの一瞬、“数分間だけもうちょっと長引かせば、赤ちゃんは生きて生まれてくることはなく、障害を持った人生を送らなくてもすむ。もともと難産だし、誰も、真実は知らない。”という思いが頭をかすったらしい。でも、幸い、そのお医者さんの自覚が戻って、その赤ちゃんは足の障害以外は健康に生まれてきた。 それから20年後、お医者さんはあるピアニストのコンサートに出席した。コンサートの後、若くてきれいなピアニストがびっこをひいてお医者さんに歩みよってきて、“私のこと覚えていますか? 私は20年前あなたが難産でとりあげた赤ちゃんです。”と。そして、無事に生まれてきたことのお礼を言った。お医者さんは改めて、私たちのだれにも“誰が生まれてくる権利があって誰が生まれてくる権利がない”と決めることができないと教えられた。そして、神がその人を創り上げたのなら、その目的があるはずだからと。
私も同感である。いとも簡単に中絶を避妊の手段としている人たちが多くいるけど、小さくても、母親が感じることができなくても、まだ、超音波にも写るほど大きくなくても、命はもう、始まっているのだから。 去年の秋、私は妊娠9週目で流産してしまった。夫も私も、三人目の子が欲しくて準備万端で三回目の妊娠に挑んだだけに、そのショックと悲しさはしばらく続いた。9週目では本当に妊娠してるのか自分でもたまに疑ってしまうほど、まだ体にも大きな変化はなくて、それでも、たったの9週間でもう、赤ちゃんとの絆はちゃんと育っている。そして、赤ちゃんもちゃんと生きている。
昨日のクリップを見て、私は改めて、誰にも、ひとつの命を途絶える権利がないと思った。
Clay Dyer とDick Hoyt のクリップ は左の“ビデオクリップ”のリンクで見れます。
全く同感。彼らのクリップはは私も見たけど、涙ものだった。安物の泣かせドラマとは比べ物にならない本物の感動、彼らの強さを感じた。今らっちゃんは動きまくっている。この子がどんな人生を送るか私には推し量ることも出来ないが、私が与えられたことはこの子の人生を決めてあげることではなく、立ち会って、見守って、支えてあげることだと思っている。入込みすぎてはいけないし、主導権を奪ってもいけない。バランスが微妙だけど、親って結局それだけの役割なんだよね、子供にとって。子供が生を受ける媒体っていうか。結局は神様なんだよね、彼らの生があるのは。だから、私達はそれを摘み取ることも出来なければ、時が来れば流産のように彼らを生かす能力さえない。生かす能力もないのに、それを絶つことが出来ると思っている人間は傲慢で愚かだと思う。結局は自分の能力で作ったものではないから生かすも死なすもコントロールできないにははっきりしているのに…。
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